新橋演舞場 夜の部
「鈴ヶ森」
吉右衛門、勘三郎の初顔合わせは、近年にない充実の舞台。新勘九郎の門出の興行に相応しい見事さ。
まず、勘三郎が本役で、隙のない芝居。時折、亡き芝翫を思わせる上品さで、大変行儀のよい芝居である。
それを受けて吉右衛門の長兵衛が大きい。これは藝格の大きさがそのまま役に反映されているからである。
それにしても、藝風の対照的な二人だが、それが干渉することなく、いやむしろ共鳴し、舞台上に光芒を放つのである。これは吉右衛門、勘三郎共に藝の充実を物語るものであり、是非ともこの顔合わせを他でも見たいと思わせた。
これを見逃しては、歌舞伎ファンは大損だろう。記憶に残ることの間違いない舞台である。
「口上」
私は、襲名披露口上が大好きである。この襲名という日本的なものは、歌舞伎の魅力の一つであることは疑いあるまい。
それにしても、勘九郎のテキパキとした口上。最近の充実ぶりが見て取れる、立派な新勘九郎である。
「春興鏡獅子」
新勘九郎の鏡獅子。もちろん夜の部の主役である。
さて、どうかというと勿論良い。とりわけ後ジテは、連獅子などで見せるいつもの迫力、キレの良い動き、と大変見応えがある。予想通りで実に堪能した。
さて、弥生であるが、私はこの踊りに注目をしてこの演目は見ている。さして踊りが分かるわけでもない私でも弥生の踊りを楽しめれば、それは文句なしであろうと思うからだ。
今宵の勘九郎は、踊りの楽しさを知らしめるとまではいかなかったが、よく踊っていたように思う。なるほど弥生として見ることができたというのが一因。ただ一つ気になったのは、この人の踊りには、丸み、がもう一つということ。柔らかさと言っても良いのだが、体がキレる人だけに、どうも「動けてしまう」きらいがあるように思う。
踊りの面白さは、必ずしも体が動くことでないことは、晩年の芝翫や富十郎が教えてくれた。実際に動いているかどうか、よりも、その動きの残像、もしくは延長のようなものを残せるかどうか、ではないか。
とまれ、新勘九郎の舞台はいずれそうした舞台を見せてくれるであろう予感に満ちている。
襲名披露興行として、もっとも嬉しいお土産である。
「ぢいさんばあさん」
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