2011年9月30日金曜日

Kindleの火で焼きりんご?

昨晩の最新Kindle発表は、なかなか興奮させられたイベントだったね。ネットの速報を観ながら思わずくだらねぇツイートしてしまったが。
一晩経って、いろいろとネットニュースなどを読んでみたが、そもそも日本ではしばらく売らねーとのことで、しょんぼり。
ま、とりあえず、ニューKindleについて見聞きしたこと、思ったことをまとめておこうと思う。

・Kindle Touch
ソニーの端末よろしく、タッチ操作になるKindle。うーん、確かに魅力。安いし。ただし、既にKindleユーザーのワタクシとしては、そこまで魅力はないな。というのは、今使っているKindleの不満としては、カーソルキーを右手でしか使えないことくらい。アナログ感がむしろ好ましいほど。
軽く小さくなったのは羨ましいが。
買わないなぁ。お金ないし。

・Kindle Fire
噂されていたAmazonのタブレット、一番の驚きは価格だった。199ドル。安い!
前から思っているが、個人的にガジェットは二万円をきると俄然買いやすくなる。そこにドスンときたから、瞬間的に欲しいと思ったね。物欲サージ。ドドン。
ただ、あくまで瞬間的、に。報道されていたから予想通りだが、Kindle Fireは、Amazon専用端末、なのである。ベソス本人が言っているように、Amazonのカスタマーサービスなのだ。だからこの価格。
端末では損したって良い。でもコンテンツでしっかり儲けるよ。なんなら端末は無料で配りますよ。
これがAmazonの戦略。ハードメーカーは付き合いたくない戦争を仕掛けているわけ。
Androidのアプリも使えるようだが、Appleよりもきつい縛りがありそう。なんせAmazon専用端末だから。自由度はあまりないだろう。これは、かなりニッチがちがちな商品とみた。iPad持ちには、そこまで訴求力がないのではないかなぁ。

というわけで、盛んに言われていたiPadキラーとはならないガジェットだね。
そんな、Amazonと心中するための緊縛系タブレットだな。
これも、買わないなぁ。お金ないし。

やはり読書端末としてのKindleとiPadを使う、これまで通りのスタイルが吉だなぁ、としみじみ思う次第。





2011年9月22日木曜日

iPad NAS 映画 (追記有)

映画が好きだった。暇さえあれば映画という時期もあった。
最近は、すっかり映画ファンの看板を下ろし、スカーレット・ヨハンソンと聞いても、「ヌード?」としか思わない(……)

映画が好きな人は、深く深く潜っていく傾向にあって、インディペンデントとか、ピンクとか、エクスペリメンタルとか、その辺りの溝にはまっていくものだが、ワタクシは、似非インテリよろしく、欧州のきわめてスタンダードな名画を愉しむ程度で、瘧が落ちた。
それから、ほとんど映画を見ない日々が続いていたのだけど、最近、iPadのおかげで週末に映画を楽しんでいます(いよいよ本題)。

昔からDVDを集めていて、「アタランタ号」とか「不安と魂」とか「ロゼッタ」とか持っているので、そいつらをデジタル化してiPadで見るということをやっている。それとiTunesからレンタルしたりもしている。
iPadで映画というと、機内とか車内とかが一般的だろうが、うちでは卓上、である。ダイニングテーブルに座って、お茶を飲みながら観るのだ。
おいおい、映画は大画面だろ?という人は、映画館にGo! へいへい、大きなテレビで観ればいいだろ?という人は、買っておくれYo!
卓上iPadで、意外にお気楽に楽しめるのである。

で、デジタル化したDVDコレクションだけど、これは、HandBrakeでiPad用にしたデータを、NASにつっこんでおく。うちはバッファローのんを使って、TimeMachineもこれでやってる。時々気絶しているが、それを除いてはまずまずの動き。
それで、NASにつっこんだデータを、AirVideoアプリで、MacをサーバーにしてiPadで観ているというわけです。NASから直でできたりするかもしれないが、わからんし、今のでまま、満足しておる。オススメ。

ところで、今更ながら気がついたのだが、ジム・キャリー好きだ。あとヴィンス・ヴォーンが好きだ。

(追記)ダウンロード違法の法律改正以来、リッピングとかDVDコピーとかはやめました。。以前に手持ちのはあらかたコピーしちゃったのでね。


2011年9月19日月曜日

九月歌舞伎 その二

新橋演舞場 昼の部

「舌出三番叟」
スキップ。最近は特に観たいもの以外は観ないことが多い。損することもあるが。安い席しか買えないので、そういう見方も可能になるわけだ。

「新口村」
寝不足がたたり寝た… 予想していたことだが。。
隣とその隣の女性が泣いていたので、さぞ良かったのかな。
歌六の老け役はすっかり定着した感がある。しかし、最近のこの人には妙な空回りが目立つように思う。巧い役者だけに、期待をしてしまうから厳しい見方かもしれない。

「寺子屋」
新又五郎の武部源蔵に期待した舞台だが、結果として恐ろしいものを観ることになった。

又五郎は襲名披露に相応しい熱演。どうも右足を痛めていたようだが、かばいながらも、藝風にあった見事な源蔵だった。
と、普通ならここで他も良くて充実の舞台、なんて書くところだが、いやはや、松王丸の出から、吉右衛門が圧倒的。こんな寺子屋初めて観た、かも。
吉右衛門の松王丸は、恐ろしいほど肩の力が抜け、ほぼ完璧な台詞回しに、他の人が真似したならば型を逸脱しそうな見事な緩急の芝居。ビックリしたのは、それ程までの存在感にも関わらず、松王丸と玄蕃の関係が正しく表されているところ。普通なら松王丸が派手に目立ちまくり、玄蕃はその影に隠れさるのだが。ま、これは段四郎を誉めるべきところでもあるな。
吉右衛門の「なに笑いましたか」のくだりも実に良かった。寺子屋は元来、歌舞伎より文楽で良いと思っているが、吉右衛門は歌舞伎の寺子屋の面白さを堪能させてくれた。そしてそれは吉右衛門の寺子屋の面白さである。これは国宝級。
吉右衛門の義太夫狂言の巧さとハラの芝居の深みが、恐ろしいほどの一幕。一幕見席があれば、残りの日通う。そんなレベルです。
ところで個人的な話に過ぎるが、倅が生まれてから、このての芝居は涙無しには観れぬ… 「いつになく後追うたを叱ったときの…」ですでに涙腺崩壊でした…
最後に。この芝居で、いろは送りの前に、待ってました!の声がかかり、焼香の順に、屋号を呼ぶという昨今の程度の低い大向こうが炸裂。明日からやめるべきだ。台無し、という言葉の教科書的見本。

「勢獅子」
スキップ

2011年9月17日土曜日

かばんの中身

ノマドワーカーの皆様の持っているかばんの中身を教えて、という企画が好きだ。
アド街の女の子が腐るほど出てくるやつくらい好きな企画。モバイル・トゥデイとかでやってるとウキウキして見てしまう。そこで、自分でもやってみることにした。



写真が下手なのはさておき。。
左半分がいつも持ち歩いているもの。
・傘(davek)
・ポテトング
・折りたたみのBluetoothキーボード(リュード玄徳製(すみません))
・ポーチ(薬、サバイバルシート、兄にもらったマイクロヘッドライト、リセッシュなど)
・iPhone4とイヤフォン
・Kindle(専らNYT用)
・Clippa(銀色の輪。大活躍の場はラーメン屋とかカウンターだけのとこ)
ノマドワーカーではないので、出張でもない限り、これがデフォ。これでも急なメールや、ブログのアップには、iPhoneとキーボードでばっちり対応!とか言いたいが、実際、ほとんどキーボード使ってない。。

右半分は、上の基本セットに組み合わせて。
・MBA(MITでとか言いたい。まぁ言うだけならただ)
・iPad
・iPhone3G(iPodとして。バックパックの時に)
・iPhoneの充電用バッテリーとケーブル

このあたりが、比較的よく持ち歩くモノたちで、ここにリコーのコンデジとかせこい一眼レフとかDSとかが加わると旅行グッズになる。

改めて見てみると、電源確保の弱さが、似非モバイラー、似非ノマドだなぁ。
hyperjuiceがほしいけど、高いんですもの。
昔買った充電バッテリーも、大して容量がないこともあって、最近はあまり持ち歩いてない。

昔はここにUSBメモリとかがいたけど、あれはほとんど使わなくなった。もうなんでもDropbox。だからiCloudには結構期待している。
なお、こいつらを入れる鞄は、最近はユニクロ様のトートが多いが、メインはビクトリノクスのブリーフ(下着ではない)、バックパックはオスプレイ(戦闘機ではない)。






2011年9月12日月曜日

九月歌舞伎 その一

新橋演舞場 夜の部

「沓手鳥孤城落月」
寝た。久々の芝翫がとりあえず元気そうでなにより。
児太郎の立ち回りの悪さに驚く。。

「口上」
めでたいなぁ。新又五郎さん、一層良い役者になってほしいなぁ。
芝翫が何度も目頭を押さえていたなぁ。

「車引」
新又五郎の梅王丸は、ちょっと飛ばし過ぎたが、熱演。荒事の力感がかなりよく出ていたのではないか。
桜丸は、隈取なしのきれいな山城屋。つるりん。
貫禄の出来。もはや奇跡と言ってよい舞台姿。この人いくつですか、ほんと。
しかし。初日なのでこなれていないところも多いが、全くダメなのが竹本の三味線。この顔合わせには明らかな力量不足ではないか。元々の技量がないのではと疑わしくなる出来。これでは山城屋の桜丸も、播磨屋の松王丸もいきぬ。実に残念。
それにしても、さよなら公演の車引は素晴らしかった。。芝翫の桜丸(あの素晴らしい隈取りと言ったら!)、亡き天王寺屋の時平、あんな素晴らしい舞台をまた見たいものだなぁ。

「石川五右衛門」
特に期待していなかったが、良かった~
染五郎と松緑は中々の相性の良さ、ではないかな。
宙乗りまでで帰りました。。

2011年9月11日日曜日

「日本人の9割に英語はいらない」読了

成毛眞氏の単行本。
タイトルが煽動的だ。さらに帯には「英語ができても、バカはバカ。」とある。
ふふふ。これは読まねば、となるわいな。

で、読んでみたが、基本同意。
と偉そうに申してはいけなくて、やはり元外資系トップが言うからこそ、説得力が出るというものですね。
昨今はやりの「社内英語公用語化」の愚も、成毛氏のような人が批判するからこそ、人も耳を傾けるのだ。

とくに、よくぞ言ってくださったと思ったのが以下の一言:
「日本人も堂々と英語を拒否すればいい。」
だってそうでしょう。外国に行ったら、まぁその国の言葉を話すのが当然。日本に来て、ナチュラルスピードで質問する外国人(主に白人)を見かけるが、あの人たちは、せめてゆっくり話す努力をすべきだといつも思う。幸か不幸か今のワタクシは外国人に頼られることなどないのだが、不遜な態度で質問をしてきたら、ラテン語以外は苦手です、と日本語で伝え立ち去るだろう(ほんとか?)

多くの日本人が本当は必要としない英語需要を勝手に感じていることは、著者の指摘通りで、小学校で英語をやる意義はないと私も思うのだが、それでもやっぱり英語ができた方がよいぞ。ま、できる、にかなーりの幅があるのだけれど。ワタクシの愚見でしかないのだけれど。

わたしの考えとしては、英語を若いうちに勉強しなかった人は、無理に勉強しなくてよいと思うが、若い人は当然のツールとして身につけておくとよいと思う。日本語だけでなく、英語でも情報を仕入れることができると便利だ。とくにネットで。
ちなみに私は高校生のころ、Backpacker誌を定期購読し、かなり背伸びをして解読を試みていた。そして背伸びしすぎて、ヘンリー・デイヴィッド・ソローのWaldenを買って2ページで挫折するわけだが。。(我ながら愚かすぎる飛躍だった。。)
それも若いうちなら、かわいいものなので、「英語業界のカモにな」らずに、「英語の勉強」をするのではなく、英語「で」勉強をしてほしいものだと思います。